0614

3ヶ月ぶりぐらいに荒浜に行った。

前日の午後の早い時間に小口から電話がある。仕事の件かと思いきや、吉村さんが数日前に亡くなって、公式な発表がこの直前だったのだという。ちょうど前日にこまっちゃんとメールでやりとりしたけど、そのことには何も触れていなかった。

そのことを色々考えて思い出したこともあったりして、結局殆ど眠れなかった。

今回、東部道路までの間のの田んぼに水が張られ、苗が植えられていた。海水や瓦礫が入ってしまったため数年間は作付けは無理だろうと言われていた場所だ。このことは荒浜に関する数少ない感動できる点のひとつ。

現在の荒浜がどうなっているか、正直あまり変わっていないと感じる。荒浜の元住民の方々の生活もあの日以来あまり変わってはいないだろう。ほんのいくつかのことは変わってきているのかもしれない。ずっと言えることは、いまだに荒浜を愛している人がいて、喜んで、怒っているということだ。

怒りについては、なんでこうなるんだろうという気持ち。復興が進んでいない、というよりはもう無かったことにされているかのような状況。

例えば、集団移転するのに荒浜の土地の買い取り価格より移転予定地の販売価格が数倍も高い値段になってしまっていて、到底買える値段ではないということなど。義援金は相当な額集まった筈だけど、ここ荒浜や仮設住宅に来るといつも感じるのは、荒浜の人たちは何ひとつハッピーになっていないということ。津波が来て自分の身以外の全てのものを失い、さらに新たな生活を始めようとすると払えるはずの無いような金額を要求される。それに対する支援なんかない。もう地震や津波の被害なんか忘れ去られ、無かったことにでもなっているかのよう。彼らの存在自体が疎んじられているかのようだ。残念ながら仮設住宅で人生を終える方も多いのだろう。こんな国にオリンピックを開催する資格なんか絶対にない。

数少ない救いといえば、何人かの方はこうなってしまっても荒浜をいまだに愛しているということだ。このことには自分自身、とても大きな影響を受けていると感じる。最も重要で最も難しいこととは、何かを継続すること。何ヶ月に一度か、それを感じに行く。荒浜に滞在できる時間は毎回そう長くはないが、とても意味のある時間だ。

撮影は、かなりプレッシャーを感じていた。でもまあ良いのが撮れたと思う。