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誰かが亡くなった時、大体の場合は間接的にそれを聞く。直接人の死に対面することはあまりない。ひとに聞いたり、葬儀に行ってそのひとと対面したりすると当然悲しくなるのだが、それは、その事実を受け入れられるかどうかとは違う。時間が経つにつれて悲しさのようなものは薄れてゆく。同時に生前の思い出みたいなものも薄れてゆく。事実としては亡くなったということを理解出来るようになるが、気持ちの中ではずっと受け入れられない。だから何年経っても、また会えるんじゃないかって、思うときがある。結局、ひとが亡くなった事なんて受け入れられない。忘れてゆくだけだ。
彼女と別れた後、遅かれ早かれそうなったんだよって自分に言い聞かせるときがある。別れたことは残念だったけど、あのまま続いててもいつかは別れたんだよって。言い聞かせるというよりはそう思いたいからそう思うようになってしまったというか。人間は自分に都合良く解釈する。そして記憶も都合良く選択するようになる。
だから、現実を現実として受け入れる、認識することが全てではない。むしろ、現実っていうのは要素のひとつに過ぎないと思う時もある。受け入れることが可能な現実ばかりじゃないから。