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NHK「イナサ」の3作目「それぞれのイナサ~風寄せる集落 9年の記録~それぞれのイナサ」を、やっと観られた。なにせテレビがないもんで。

前2作ももちろんいいんだけど、今回もとても良かった。今回は前2作のアウトテイクみたいな素材と2012年以降の録り下ろしの素材だけど、今回は録り下ろし素材のシーンに大きな意味があったと思う。ラスト近くの、眞優子さんが自分がガソリンスタンドで働くことの意味を話し、そしてラストシーンでのさちきさんと吉男さんのイナサのうた。このうたが録れたってことがこの番組の意味のひとつだろうと思う。番組なんていいシーンがひとつあればいいといえるぐらい。

第1作でさちきさんはイナサのうたを唄った。それは、日が暮れた貞山堀で吉男さんと眞優子さんと一緒にウナギの稚魚を捕るシーンだった。だけど2作目では忘れた、と言い、唄わなかった。

そして今回、それは、もう何もなくなってしまった家の跡で漁に使う網を直しながら。うたが背景に流れる中、シーンが切り替わり俯瞰で家の跡が写ると、そこにはさちきさん、眞優子さん、優子さん、秀子さんがいる。とても意味のあるシーンだった。それは、言い換えれば、2012年後半以降だからこそ録れたシーンなのかもしれないと思った。

時は、流れてゆく。人を置き去りながら。だけど、それを忘れまいと、そこにとどまろうと、とどめようとするひとがいる。そのひとが口ずさむうた。別に上手くはないんだろうけど、それはとてつもなく美しい。

荒浜の人たちと接して、教養というものを感じた。教養とは経験して身に付くものだと。決して勉強するものではない。彼らには、自分みたいなものが決して得ることの出来ない、かけがえのない教養がある。