0823
先日漁船に乗せてもらい、赤貝漁をほんの少しだけ手伝った。その貝を運んだだけだけど、不思議な感覚だった。港から10キロぐらい沖が棚だったんだけど、どこで取れても貝は貝。どこに持って行っても貝は貝。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん、獲れた場所によって多少の違いはあるんだろうけど、そんなこと貝には関係無い。でもそれに値段という価値がつく。店の格式だとか雰囲気だとか、同じ貝が店によって値段が高くなったり安くなったりする。だけど、どんな値段になろうとも、それは貝の存在には何ら関係ない。値段、価値って言うのはけっきょくのところ人間がつけるもの。ものに値段を付けて価値を付けてっていうのは、それは人類の歴史でもあるし、そうでなければ人間は生きていけないから。経済って言うのはそういうことだし、現代というかある程度昔からそうだったと思うけど、社会に生きようとすれば、人間はどんな形であれ、経済活動の中に、相対的な価値の中に身を置かなくてはならない。
経済っていうのは結局は価値の創造だと思う。それによって人間は人間でありうる部分もあるし、素晴らしい側面も大きいんだけど、それはある種不毛でもあると思ってしまった。価値の創造っていうことを最も悪く言えばバブルってことだと思う。ものに価値をつけるのは人間。だけど価値は相対的な関係を生み、優劣を生む。そういう面に突っ走っていったらどうなるか? どうなってしまったか?
でもそんなことには無関係な世界が、まだある。存在しかなく、価値っていうものじたいが無い世界。そういう場所が、ある。確実に存在する。漁がそうだったかどうかはわからないけど、もちろん、いまは魚を売って生計を立てるのが漁だからそんなことないんだろうけど、その世界を考えさせられた。
しかしあれだな。ネットで店とかの悪口書いて自己完結するような人にはなりたくないな、ていうかなっちゃいけないな。そんなもん批評でもなんでもないと思うし。オレの好きな飲食店って、だいたいネットでの評価が良くない。だからネットでの飲食店の評価はアテにしないようにしている。アマゾンのレビューがあれば音楽評論なんて必要ないって意見を掲示板で見たことあるけど、そうであるべきじゃないよ。それはいままでの音楽評論のレベルが大したことなかったからだろう。