0319
言いたい事と伝えたい事って一緒なんだろうか。
自分の場合は微妙に違う気がする。
言いたい事と伝えたい事って一緒なんだろうか。
自分の場合は微妙に違う気がする。
今日が今年の初の活動。いつもの年だと2月後半、早ければ1月末には活動開始してたんだけど、実は今年は例年になく人数不足。特に投手が。今日は何とか集まったけどこの状態がいつまで続くのか。もうそういうことをするモチベーションも低下してきてしまった。
そして試合に出たいとは殆ど思わなくなってしまった。今年、急に。試合を観ていても、自分がその中に入る姿がイメージしにくくなってる。
写真を綺麗に撮る事には興味がなくなってきた。というか最初から興味なんてなかったんだ。
でも綺麗に撮ろうとしてた。そうでなきゃいけないと思ってたから。結局、ムリだった。根本的に考え方が間違ってたというか。自分にしか撮れない写真っていうのは、何のことはない、自分にはこれしか撮れないっていうのと同意義だっていうことも何となくわかってきた。それを認めることが出来るようになってきた。ていうか、認めなければ先には進めないことがわかってきた。
ただ、以外と、被写体を前にして、感じたように写るものだなっていうこともわかってきた。だから、綺麗に撮ることよりも綺麗だと感じられるかどうかってことの方が大事なんだということがわかってきた。それは目に見えるものだけじゃなく、音だったり、匂いだったりもする。触った感じだったりもするし。美しいと感じることが出来れば、写ったものは自然と美しくなるはずだから。
でも自分の場合、頭で考えて考えて考えて、やっと少し感じることが出来るかな、といった具合。
ブルース・リーが言ったという、ー考えるな、感じろーの境地には程遠いわ。
こないだ友人と話してて、新しい音楽もうあんまり聴かないって。彼は元音楽雑誌の編集だけど。
自分なんかでも、新しいのっていってもマイルスのブートレッグシリーズとかだもんな。1967年とか69年の音源だし。
それに、いま持ってるのをちゃんと聞くだけであと何十年もかかるはず。
でも音楽って、本来は演奏された瞬間に空に消えてしまうものだ。だけどレコーディングという手法によって記録されるものになったけど、でもやはりレコーディングされた瞬間に古くなってしまうものだから、たとえ新譜だとしても過去のもの。だから新しい、古いっていう分け方は程度の差でしかない。それに、古いから新しいものよりも価値が低いってこともない。
ビートルズやチャーリー・パーカーは古いから良くない?そんなことはないっていうことは、もはや誰でも知ってる。
むしろ、ルイ・アームストロングやファッツ・ウォーラーとかにも聴くべきものはたくさんある。
もちろん新譜と分けられているものの中にも聴くべきものはあるはずだけど、問題はその全てを追えないってことだ。いま持っているものを聴くだけであと数十年は必要なはずなのだし。さらに問題なのは、永ちゃんばっかり聴いてるってことだろう。
そういうわけで、いまはフローラ・プリムを聴いている。
昔、P-ファンクオールスターズの撮影の時に、たまたまキャブ・キャロウェイのTシャツを着ていった。そしたらメンバーがみんなオッ!キャブ・キャロウェイだ!イエー!おい!キャブだ!見ろ!って言ってた。キャブ・キャロウェイとPファンクはやっぱり同じ流れにいるのかもって思った。
ここ最近、相模の受付にはとある女性の店員がいる。
顔のつくりはキレイなんだけど、体付きは大きい。というかぶっちゃけかなり太い。おそらく3ケタはあろうかと…….。しかもよく見ると、こちらもインパクトのある大きさの顔だった。なんでもっと体重落とさないのかなーっていつも不思議に思う。
この人、普段はもちろん普通に接客してる。ポーカーフェイスの奥で一体何を考えているのか知りたいと思うときもあるが、ある時、オッサンの客となんかねチッこい話をしてたのを聞いてしまった。要約すれば、え〜飲みに行くー?みたいな!
なんだただのそういう軽い女だったのかよ!って思って軽くムカッとしたわけだけど。
まあオレが勝手にイメージを造ってただけで。。。。向こうにしてみれば大きなお世話だっていう。
ただ、このような安い思い込みが許容されるっていう点、というかほんの思い違いを生んでしまう土壌があるという点でもやっぱり相模は器が大きい。
肉も魚も食べないって話はよく聞くけど、チョコレートとかコーラはいいのだろうか。
よく、体に良いって話があるけど、あれは究極的には長生きしたいわけ?確かきんさんぎんさんは刺身が好きだった筈だし、泉重千代は煙草吸ってた筈だ。それに、長生きするっていいことなのだろうか。最近は、キリのいいところでさっと逝っちゃう方がいいんじゃないかとまで思う。かと言ってそのタイミングは極めて難しいけども。そんなこと自分で決められる訳でもないし。
暖かく、まだ柔らかい日差しの中を中目黒から渋谷まで歩いた。
渋谷では、東横線と副都心線の直通運転開通を今週末に控え、無くなってしまう東横線のホームや渋谷川とかの写真を一生懸命撮っているひとがとても多い。
良い天気だね、もう梅が咲いてるね、こんな、なんてこともない話題を交わし、毎日がこんなに平穏で何も起きずに過ぎてゆく。でも日々とはこうであるべきなんだと感じる。
義援金が何兆円集まったところで、仮設住宅に住んでいる人たちが家を買える訳じゃない。全てのマイナスがゼロになるわけじゃない。
全てが終わってしまった日を迎えて、バカで無力な自分がそれでもまだ生きているということは時に辛く感じられるけど、同時にこの日からほんの小さな何かが始まったのだと思いたい。
全てが終わってしまった場所に、花を咲かせようとする人がいる。そのささやかな誇りは、信ずるに値する。
ここ最近、あいつ良いタイミングで先に行ったのかもなってフッと思うことがある。本当はこんなことを思っちゃいけないんだろうけど、そう思っちゃうような出来事が多い。そんなようなことを誰かが言ってたって話も聞いたし。
あのときのことは未だに憶えてる。忘れられない。撮影の時にテルに聴いた話、それでライブに行ったときにまさやと話したこと、エージとちょっとだけ話したこと。あの日曜日、オレは天王洲で野球やってた。桐ヶ谷にいるっていうからそのまま向かったらもう閉まってた。真っ暗だった。そのどうしていいかわからなくなって夜の駒沢公園を泣きながら歩いた。葬式にも行きたくなかった。だけど、香織さんから、ちゃんとお別れしようね、ってメールをもらって、やっぱ行かなきゃいけないのかなって思った。最初の頃は夢に出てきて、なんで死んだのにここにいるんだろう?って思ってそれで目が醒めちゃって夢と現実の区別がつかなくなったことがあったけど、もう最近は夢にも出てこなくなったな。
それからもう4年が経った。4年、4年。
墓ができてすぐの頃につねと行ったっきり、全然行けなかった。行けなかったっていうのは今思えば言い訳だけど。で、3年振りに先月末に行けた。でその1週間後にまた偶然行けた。
何か話でもあんの? それとも何か話さなきゃいけないことでもあったっけ? でもそっちにいればそういうもこと大体わかってるんでしょ?
世の中悪いこともあれば良いこともある。最近そう感じるけど、でもキツいことが多いよ。みんな頑張ってるから別に助けて欲しいとかは思わないけど。
おまえがそっちに行ってから初めて、そっちの世界は本当にあるのかな、そっちはどうなってんのなかって思うようになったよ。
次は安達祐実の写真集でも持って行くよ。安達祐実の水着がヤバいって言ってたよね? そんなもんもう売ってないから中古探さなきゃ。ちょっと待ってて。
毎年もうこの時期だととっくに野球始めてる。大会もやっちゃってる。
だけど今年はまだ活動してない。
去年はずっと人数不足だった。しかも結婚とかでさらに自然減。でも最後の最後の活動で何人か新人がやってきて、来期の活動に期待が持てた。
フタ開けてみてその来期になると、学生はバイトとかで参加せず、投手は故障やその他の事情で計算が立たず。つまり去年よりも状況は悪くなった。みんなそれぞれ事情があるので参加出来ないのは仕方ない。そういうことに対して文句を言うつもりは毛頭無い。そもそも休日に集まって楽しみでやってることだからイヤならやらなきゃいい。
加えて監督の自分がやる気がない。他に考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないこととかがゴマンとあって、今年は全く野球やろうって気にならない。例年だったら自分がやらなかったらチームは崩壊することが明らかなので何とかした。例えば、まず試合を組んで、人数はそれから何とかするっていうやり方をやってきたんだけど、今期は人数の確認を先に行い、無理そうだったらやらなくなっちゃった。去年までなら何とかして人数集めたんだけど。今期はどうしようもない。自分にやる気が無くなってしまっている。他の人がそうであるように、これは仕方ない。そもそも野球チームなんて代表が何もやらなくなったら活動できなくなる。だから自分にかかっているわけだけど。
負けてムカついたことも多々ある。ジャパンカップ2回戦で中川君がサヨナラヒット打って飛びついて抱きついたこともある。良い思い出も勿論多くある。自分のチームは活動できなくなるかもしれない。どうしよう。いまの自分には危機感が全くない。ヤバイよな。危機感がないことがヤバイよな。