江戸アケミという人が、かつていた。もう20数年前に。自分は一度だけ彼に会ったことがある。その頃自分はビブラストーンというバンドを追っかけていて、そのギタリストのOTOさんは江戸アケミさんのバンド、じゃがたらのギターでもあった。その時はちょうどじゃがたらは活動していなかった。ある時、誰かのライブだったと思うけど、たまたまOTOさんとアケミさんが一緒にいたところに自分もいた。会ったというか、同じ場所にいたというか。
江戸アケミさんはそのしばらくあとに、風呂の浴槽で寝てしまい、空焚きされて全身をやけどだか溺死だか、というちょっとよくわからない状態で亡くなってしまう。ふつうその途中で目が覚めるんじゃないかって思う。
自分は結局じゃがたらを観ることはできなかった。いまとなってはかなり残念だけどYouTubeでしか観ることはできない。
おそらく江戸アケミというひとは境界線を行ったり来たりしていたひとだった。人間とは何かって考えて、その結果人間とはウンコだということになり、ウンコを食べたらしい。ミュージックマガジンかなんかのインタビューでそう語っていた記憶がある。狂ってるというか、逸脱した人だった。おそらく、こういう人が身の回りにいたら面倒くさい事もあっただろう。だけど彼は時に強烈な光を放ち、輝いた。それは直視できない程に眩しく、時には毒を放つ光だった。そしてそれは闇を闇として照らす不思議な光でもあった。
かつて、おそらく、世界はもっと広かった。世界を円に例えるなら、その直径を広くし、円の外周当たりに位置していたのは江戸アケミのような人だ。彼のような存在こそが、世界に拡がりをもたせていた。だけど、彼のように意味不明で、メチャクチャで、混沌として、時に面倒くさくて、良いのか悪いのかよくわかんないような人はどんどん減っている。彼らが不在の世界は、その分だけ確実に狭くなっている。人だけじゃなく、そういった物事自体がどんどん減っている。2011年以降更に減ってきている気がする。あまり理解度を必要としないものだけが受け入れられる世の中に。黒と白との間にあるグレーは必要ないものとされてどんどん排除されていっている。それは、そこに生きる我々の経験というものが少なくなっている、ということをも意味する。残念だけどそう強く感じる。