1014
こないだ荒浜に行ったとき、佐藤吉男さんがいらっしゃったんだけど、写真は撮らなかった。というか撮れなかった。
吉男さんはいきなりやってくるオレらみたいなよそ者に対しても気を遣ってくれる。ふっとそういうことを考えたら凄く申し訳無く感じてしまい、撮れる気がしなくなってしまった。あんまり簡単に撮りたくないというか。土足でいきなり踏み込めるほど自分は図太くはないから。昔からそうだけど。
こないだ荒浜に行ったとき、佐藤吉男さんがいらっしゃったんだけど、写真は撮らなかった。というか撮れなかった。
吉男さんはいきなりやってくるオレらみたいなよそ者に対しても気を遣ってくれる。ふっとそういうことを考えたら凄く申し訳無く感じてしまい、撮れる気がしなくなってしまった。あんまり簡単に撮りたくないというか。土足でいきなり踏み込めるほど自分は図太くはないから。昔からそうだけど。
フロに行きたいけど、相模に行きたいけど、いまの体調じゃムリか。
仙台から帰って「イナサ」を観る。
悲しいけど、ここにあるのは過ぎてしまった輝き。
だけど、終わってないもの、これから始まるものもきっとあるであろうという希望も、いまでは、ある。
17〜18年ぶりぐらいに会う人がいた。仕事の話がしたいとかいうことで会ったんだけど、ショックだった。すっかり変わっていた容姿もショックだったが、話している内容が20年前で止まってた。オレと同い年の某友人を指して、あの人大学卒業出来たの?とか。そんなの20年前の話だよ、って言っても通じなさそうだったから何も言わなかったけど。もちろんその人と仕事は出来ないだろうし、2度と会いたくない。
ダブルレインボーをみた。iPhoneだし、大した写真は撮れなかった。
たけど、虹を美しく撮ることよりも、虹を美しいと思えることの方が余程大事なのだと思う。
今は、ホントにそう思える。
実際、何を大切にすべきかは分かってきたような気がする。
でも分かってきたような気がするだけで、まだまだ実際に大切にできているわけではない。そこらへんが自分の小ささの所以かなと思う。
今まで、写真のメッセージっていうのは写真の中にだけあるんだと、そう思ってた。だけど、それだけじゃないって、今回はじめて、強く明確に感じた。
去年の3月から荒浜に通うようになって漠然と感じていたことは、その写真を撮影する過程、その写真を展示する場所、そこで展示することになった流れ、そしてそれを観てくれたひとたちの反応、そういうことにも新しい意味とかメッセージがあるんだって感じるようになってきた。
で今回の写真展。スリラバで展示させてもらうことの意味、スリラバで出会ったひとを撮影してその写真をスリラバで展示することの意味、その撮影での過程、ライブに出てもらった3人との関係性とか、いまここでこの3人でやってもらうことの自分にとっての意味とか、そういうことトータルで今回の写真展の意味があるんだと。
もちろん、写真そのものの中にも意味やメッセージやストーリー性みたいなものはある。それについては妥協しているわけでもないなんでもない。それはないがしろにしちゃいけない。だけど写真以外の部分での意味っていうのがあるって、今回それをはじめて強く感じた。自分はいままでそれを感じられるようなとこにいなかった。いままでの写真展でもそんなこと感じたことはなかった。これは自分の写真のキャリアの中でも最も大きな発見だったかもしれない。だってそれは、価値が上書きされたものではなく、全く新しい価値なのだから。
だから、純粋に今回の写真展を通して考えさせてもらい、感じることが出来たその事を感謝したい。そのきっかけを与えてくれた、つかちゃん、みか、きよしくん、會田、つね、に。
友人から「このまま止まらず走り続けて。がんばろう」ってメールをもらった。泣けたよ、グスン……
吉男さんの漁船に乗せてもらった時に考えた。
全てがそのものとしてのみ存在している世界。優劣のないフラットな世界。もっと言うと、価値というものじたいが無い世界。ただそこにあるだけの世界。究極的なような気もするけど、この世界は実はそもそもはそうだったんじゃないかって気もする。海の上はそういう世界に思えた。考えようによっては、そういう世界は、いまの地上にも存在する。
少なくとも、いまの自分にはそれが感じられる。ひとりひとりの頭の中ではそういう世界は実現可能なんじゃないかと思う。実際の世界では、それはごくごく小さな自分の身の回りの範囲のことだけど。でも確実に。
不眠になる時のパターンはもうだいたい決まってる。眠たくなって寝るんだけど、だいたいイヤな夢を観る。それで目が醒める。その間30分ぐらい。イヤな夢なんで汗をかいていたり動悸が早くなってたりする。時間が経つとまた眠くなる。それを一晩繰り返す。それが連日続く。今はそうじゃないけど2月ぐらいにそういう時期があった。原因はわかってる。だけど、そういうことの原因て、多くの場合なくならない。改善もされない。慣れるか忘れるか、その二つしかない。つまり解決はしない。
よく、サウナに行ってストレス解消になるんですか?って聞かれるけど、ストレスなんてなくならない。バッティングセンターに行ったってストレス解消にはならない。新たなストレスが生まれるだけ。自分にとってはストレスなんて、慣れるか忘れるか、それだけだ。
田舎、地方の人には少なからず善がある。自分はずっと東京っていう特殊な場所で生まれて生活していると、田舎のひとの善にハッと驚かされる時がある。
それは荒浜でも感じるし、こないだの浜名湖でも感じた。
問題なのは、田舎の善意と我々都会だの業界のマナーだのとの接点が実はあまりない、ということだ。だから善意をそのままの形で受け止められない。これはとても残念なことだし、何とかならないものなのかといつも思う。この点が改善されれば世の中のいろんな問題が解決されるだろうに、と思ってしまう。